作歌相談室Q&A


 

作歌相談室Q&A

 

NO.3 編集部作成

 

 過去および完了を表す助動詞についてですが、口語体は「た」一つだけなのに、文語体は、き・けり・つ・ぬ・たり・り、の六つもあるそうですね。使い分けを教えてください。

 まず大きく分けますと、「き」「けり」は現在に関わりのない以前の事柄、つまり過去を基準として表す助動詞です。一四つの助動詞の意味は、二つに分かれます。「つ」「ぬ」の中、「つ」は意志的・作意的・動作的に、「ぬ」は自然推移的・無意識的に用いられます。「たり」「り」は、その実現した結果の存続を表現します。

それでは「き」「けり」から説明しましょう「き」は、自分が経験したことを回想する場合です。

肋めだつ胸をあはれと見記憶夏なり半裸に苗を植ゑゐき             木俣修『去年今年』

」は「き」の連体形で、「」は終止形です。「けり」は、間接的な回想の場合で用いられましたが、現代では主に詠嘆として用いられています。また、今まで知らなかったことに初めて気づいた、の意もあります。

 

  たちまちに涙あふれて夜の市の玩具売場を脱れ来にけり           木俣修『落葉の章』

 

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NO.2 編集部作成

  

 私が「星雲」編集部に送付した歌稿の一つに「怪我をして動けざる身のわれにして窓に迎へりスーパームーンを」があります。しかし、届きました「星雲」誌を見ますと、四句が「窓に迎へたり」と直されていました。音数も七音で、整った作風であり、良いと思っていたのですが、どうしてでしょうか。 


 八音の字余りとなりますが、訂正された「迎へたり」が文法的に正しい言い方ですよ。「り」という完了・存続の意の助動詞は、四段動詞の已然形(または命令形)か、サ変動詞の未然形に接続します。「迎ふ」は、下二段活用の動詞ですから、「り」には接続しません。一方、同じ完了・存続の意の助動詞「たり」は、連用形に接続します。「迎へ」は「迎ふ」の連用形ですから、「たり」に接続し、「迎へたり」となるわけです。
 明治時代に見られた誤用の延長として、短歌総合誌にも、このような語法の間違いのある歌が載っていることがあります。作歌の上で、音数や韻律を優先しているように見受けられますが、やはり正しい語法で作歌しましょう。
 なお、同じ完了の助動詞に「ぬ」「つ」があります。「…た」と訳されますが、「たり」「り」は「…ている」と、完了の結果が続いているような場合に多く用いられます。


  誰も誰も晩年にあるまなこして湯気だつものをこよひ囲めり              木俣修『去年今年』

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NO.1 編集部作成


 ある短歌総合誌を購読して、勉強しています。たまたま同じ号に「十余年過ごせし街にも馴染み得ぬ…」の歌と  「五日ほど過ごしし宿をけふ出でて…」の歌に出会いました「過ごせし」と「過ごしし」では、どちらが正しいのでしょうか。 

 

 「過ごしし」が文法的に正しい言い方ですよ。「過ごしし」は、分解しますと、「過ごす」(他動詞サ行四段活用)の連用形「過ごし」+「し」(過去の助動詞「き」の連体形)となります。「過ごせし」の「過ごせ」は、「過ごす」の已然形ですが、この言い方は誤りなのです。しかし、書店に売っている短歌総合誌に、どうしてこのような間違いのある歌が載っているのでしょうか。実は、明治時代の文法の「文法上許容ニ関スル事項 八」に「佐行四段活用ノ動詞ヲ助動詞「シ、シカ」ニ連ネテ「暮シシ時」「過シシカバ」ナドイフベキ場合ヲ「暮セシ時」「過セシカバ」ナドスルモ妨ゲナシ」と書かれています。つまり許容、このように表記してもよい、の意味を現代にも援用して、「過ごせし」と表記しているのです。この誤用は、結社誌や短歌総合誌によく見られます。誤りを承知の上で、響きが「しし」ではよくないとして、「せし」と書く歌人もいるようです。
しかし、」やはり「過ごしし」と正しく表現しましょう。「明かす」を用いた正しい例歌を挙げます。
  爆弾の音に明かしし正月をわがをりふしの夢に見てきぬ                     木俣修『去年今年』

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